お詫び

このページの記載事項(年号)」に
誤った記載がある
とのご指摘を「東照宮」様から受けております。


只今確認中です。
東照宮様、お客様には大変ご迷惑をおかけしました事、
深くお詫び申し上げます。

出来るだけ早い時期に「訂正」し、掲載したいと思いますので、
しばらくお待ち下さい。

※なお、このページは、「銀杏坂商店会さまHP」の一部からコピーしてあります。
昨年末(2005年)より、銀杏坂商店会さまHPが接続不能の為、勝手ながら便宜上コピーさせていただきました。

2006/02/12 くろばね商店会WEB担当
花留談
木村功 karudan@sea.plala.or.jp


年号の一部に誤記があります。↓

水戸「東照宮」の沿革


〒310-0015水戸市宮町2丁目5番13号 地図
TEL029-221-3784・029-221-9025 FAX:029-231-5707
宮司:久米章夫
御祭神
贈正一位 徳川家康公(東照公)
配祀贈正一位 徳川頼房公(威公)
配祀頼房公
家康公の第11子で、慶長8年(1603年)山城国伏見城内(京都市)で誕生された。
幼少より雄健、7才にして水戸徳川家の初代藩主となられた。尊皇、敬神の念きわめて厚く、その御治績御功業は偉大なものであった。第二代藩主光圀公によって大日本史の編修がなされたのは、頼房公の理解と援助の賜であった。後世にいたり徳川第十五代将軍慶喜公(水戸藩主斉昭公の第7子)が大政を奉還されたのは「第一に朝廷、幕府は第二」とする尊皇の精神を確立された頼房公以来の家風を実行されたためである。
頼房公は幕府の補佐として徳川第三代将軍家光公に深く信頼され、世人は天下の副将軍と尊敬された。59才をもって水戸城内において薨去(こうきょ)された。
御由緒と沿革
元和7年(1621年)4月21日、水戸徳川家初代藩主頼房公によって社殿をはじめ諸建造物が完成し、朝廷から勅使として三条大納言藤原公広公が、幕府からは山門探題天海大僧正が参向して盛大な遷宮(せんぐう)の大祭をおこなった。
元和10年、徳川第二代将軍秀忠公の霊屋を宮の西方に建て、のちに第三代将軍家光公の霊屋を建て、以降徳川幕府歴代将軍の霊位を相殿として祀った。
宮の地名は霊松山といわれていたが、元禄12年(1684年)第二代藩主光圀公によって、常葉(ときわ)山とあらためた。
御創建当時は「三所権現」と称し、中央に東照大権現の尊像が奉安され、左座に山王権現、右座に麻多羅神を含祀された。天保14年(1884年)第九代藩主斉昭公は従来の仏祭を廃止、左右の配神二座を除き、神道による祭事にあらためた。
明治4年郷社に、同8年県社に列せられた。昭和11年7月29日、当宮を創建された徳川頼房公が配祀され、宮民合同による盛大な祭典が執りおこなわれた。
昭和20年8月2日大東亜戦争による空襲により重要文化財として指定されてきた荘厳な社殿及び建造物を焼失。
昭和37年境内の整備が完了、鉄筋コンクリート造、銅板葺朱塗りの社殿が復興、社務所、宝物庫、玉垣、神殿等もすべて竣工し7月2日盛大な遷座祭が執りおこなわれた。
昭和40年2月18日、御祭神家康公350年祭を斎行、昭和41年7月神社本庁より別表神社に加列された。
昭和43年8月、明治維新百年記念大祭を斎行、昭和58年東照宮創建360年祭を斎行、併せて、境内整備事業を行った。

年間祭事

元旦祭 1月1日
どんど祭 1月中旬
成人祭 1月15日
初天神祭 1月25日
節分祭 2月節分の日
初午祭 2月初午の日
例大祭(春祭) 4月17日
大祓(夏越) 6月30日
夏祭 7月26日
威公祭(秋祭) 11月12日
七五三祭 11月15日
大祓(年越) 12月31日
焼納祭 12月31日
三木神祭 毎年12日
月次祭(つきなめさい) 毎年17日
入試合格祈願祭 11月1日〜3月25日

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