伊勢甚水戸店が閉店 (朝日新聞))

■セール中、45万人足運ぶ
 県都の顔として親しまれた水戸市泉町1丁目の百貨店「ボンベルタ伊勢甚水戸店」が20日、江戸時代の創業以来279年の歴史に幕を下ろした。店舗の老朽化に加え、ライフスタイルの多様化が進んだことや、駐車場不足などから営業継続が難しくなり、同地区で計画される再開発事業を機に撤退を決めた。最終日は多くの買い物客らが詰めかけ、県内一のしにせ百貨店の閉店を惜しんだ。

 「またどこかでお会いしましょう」。閉店時間の午後7時を前に、「蛍の光」のメロディーが流れる中、社員たちは店を後にする客たち一人ひとりに声をかけ、握手した。どの目にも涙が浮かんでいた。

 大高正美社長ら幹部社員たちが正面出入り口に並んだ。閉店時間を過ぎても、名残惜しそうに店内を回る客が多い。顔なじみの客や取引先と泣きながら抱き合う店員の姿があちこちで見られた。

 大高社長は「この盛況なにぎわいの中で閉店を迎えられることに感謝します」とコメントした。

 閉店セールは1月1日から始まり、計約45万人が買い物をしたという。2月11日からの10日間は「ファイナルカウントダウン」と銘打って、日替わりの目玉商品を設けた。連日、昨年同時期の約5倍にあたる、1万5千人近くが買い上げた。

 家具やインテリア、宝飾などは店側の予想を大きく上回り、昨年の6〜12倍を売り上げた。一部は9割引きという価格設定もあり、「高額商品をこの機会に、というお客様」(同店)が、福島・栃木両県や鹿行地域からも多く集まった。


■社員・パートは再雇用にめど
 店の年間売り上げは、80年代後半の210億円程度をピークに下がり続け、01年度は約100億円だった。店舗は本館、別館ともに完成から40年以上が経過し、傷みも激しくなっていた。市中心部で駐車場が慢性的に不足していることや、郊外型の大型店舗が市内に進出して売り上げを伸ばしていることなどから、同じ場所で将来にわたって営業を成り立たせるのは採算面で難しいと判断した。

 同店の従業員は現在約150人で、正社員が約100人、パートが約50人。閉店後、社員は一部が外商都に配属されるほか、同社の日立店(日立市)や、ボンベルタ成田(千葉県成田市)などイオングループ各社に再雇用される見通し。このほか、希望に応じて水戸市近辺の地元企業への再就職も決まりつつあるという。

 パートについても、希望者全員がジャスコの近隣店舗など再雇用される予定だという。同店は「希撰者の再雇用先は、ほぼめどがついている段階」としている。

 閉店に伴い、同市千波町に外商専門の営業所を新設し、主に官公庁・法人向けの営業を続ける。伊勢甚の商品券は日立店のほか、ジャスコ全店でも使える。


■跡地、大規模商業ビルに
 閉店後の店舗は取り壊し、再開発によって新たに大規模商業ビルを建てる計画がある。
 水戸市市街地整備課によると、同店の跡地と周辺の1.7ヘクタールで、地権者たちでつくる「泉町1丁目南地区再開発組合」が事業主体となり、地上9階、地下2階のビルと、640台収容の駐車場を建設する。

 売り場面積は県内最大の約3万平方メートルとなる。国道50号を挾んで向かいにある水戸京成百貨店の移転入居が内定している。

 組合は3月中にも事業認可を知事に申請し、早くて夏ごろに現在の建物を取り壊す。新しいビルの着工は04年度となる見込みで、05年末のオープンを目指す。総事業費は178億円で、今のところ国から34億円、県から7億円、市がら27億円の補助金がある見通しだ。

 移転後の水戸京成百貨店跡地でも、別の再開発の構想がある。これから準備組合を立ち上げる段階で、計画は具体化していない。

 市は4月、泉町・大工町周辺地区開発事務所を開き、市職員5人を派遣する。市街地整備課は「国道を挟む両地区を一体にして再開発を進めたい」としている。

 伊勢甚水戸店 1724(享保9)年に呉服屋「伊勢屋」として創業。1959年、伊勢甚百貨店となった。67年には日立市の丸和百貨店を買収、日立伊勢甚ができた。77年、両社はジャスコ(現イオン)に合併された後
、両店を経営する新会社「伊勢甚」が分社化れた。89年にボンベルタ伊勢甚と社名変更。資本金は1億円。水戸店の売り場面積は約2万平方メートル。日立市神峰町1丁目の日立店は今後も営業を続ける。

 伊勢甚水戸店 1724(享保9)年に呉服屋「伊勢屋」として創業。1959年、伊勢甚百貨店となった。67年には日立市の丸和百貨店を買収、日立伊勢甚ができた。77年、両社はジャスコ(現イオン)に合併された後、両店を経営する新会社「伊勢甚」が分社化れた。89年にボンベルタ伊勢甚と社名変更。資本金は1億円。水戸店の売り場面積は約2万平方メートル。日立市神峰町1丁目の日立店は今後も営業を続ける。

 

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